キーワード検索
カテゴリ検索
閲覧履歴
売れ筋ランキング

日本酒の個性を尊ぶ

月の桂「大極上中汲にごり酒」「大極上純米にごり酒」「祝米・純米大吟醸にごり酒」

李白、杜甫にも

武田泰淳 (作家)

長安にたむろした酒仙、たとえば李白、杜甫の諸先生にこのにごり酒を何と形容してすすめようか。オンザロックにすれば「氷裏開花」、あたためれば「微雨自来」稱とすべきか。敦煌から出土した白話詩人、王梵志の句に「白酒、瓦鉢に蔵し、鐺子は両脚破る」の句がある。せとの鉢にどぶろくあり、びっこの鍋でぬくめてから、仔鹿の乾肉の一片、岩塩のかけらで楽しむという。金陵(南京)の酒肆で友に別れるさい、李白は、「風、柳花を吹いて満点香し、呉姫、酒を壓して客に嘗ることを勧む」と詠じた。壓するとあるからは濁酒であり、嘗るとあれば鯨飲ではなかろう。「斗酒」「一樽酒」「酒ヲ置イテ玉壺ニ満タス」など、大がかりに考えないで、独り楽しむにふさわしい酒。そうそう酒豪ぶらないで、朋あれば友と、にぎやかに、客なければ寒い壁でもサカナにして、酔ひによる自己の変幻を喜んでいればよろしいのである。

海内無双の奇酒

丸谷才一 (作家)

京都に海内無双の奇酒がある。「月の桂」にごり酒といふ鬼ごのみである。すなはち随分きついんだな。これを一昼夜あふりつづければ、かの酒顛童子といへども源ノ頼光の到着を待たずして見事に退治られるに相違ない。せいぜい坂田ノ金時程度にすぎないわたしは、火事見舞よろしく「月の桂」の満を引いて陶然としながらこの真白の酒はまさしく和朝のいはゆる流るる霞といふやつだと考へる。四季を問はず、うらうらと春は来にけりといふめでたい気分になるからである。漢土のいはゆる雲液、あるいはまた天乳といふやつだと思ふ。地上にあってあっさりと登仙するからである。もう一つおまけをつければ、梨花春いふやつかもしれないと疑ふ。深夜ただ一人で杯をふくむわたしの前に、梨花一枝、春、雨を帯ぶがごとき美女のすがたがゆらめくからである。

舌代

里見弴 (作家)

夙からの総義歯で、口内の味覚神経を窒息させてしまったも同然の私などが、とかくの差出口も鳥滸の沙汰だけれど、中学生からの旧馴染みなる日本酒が、近年だんだんとうまくなって来るやうな気がする、という嘆声を嘲笑って、さる物知りが、——醸造法の規格化をはじめ、いろいろと余計な添加物、季節おかまひなしの機械づくり、その他などなどの理由を挙げてから、「だもの、以前のやうな醇乎たる風味がかもされようわけはないぢゃァないか」と詳しく説き聞かせてくれた。「ところが」と、そのとき旧友・増田德兵衞すこしも騒がず「うちとこの『月の桂琥珀光』は、厳冬に限った、昔ながらの手造りに、涼しい庫のなかで猛暑を凌がせ、新秋を待って貯蔵桶の呑み口を切って取り出す、これぞ真の『冷やおろし』で、無色の多い今風を尻目にかけた琥珀の輝き、香気ゆたかにこくのある辛口。しかも瀟酒な磁器の壺に詰めての新発売・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」歯ぬけの口などあてになさらず、ごめいめいの繊細な味覚でおためしあれかしと、しか申すは

水に還る

開高健 (作家)

われは瓶の子にして、盃の親。あまたの国に旅し、都の黄昏に飲み、田園の朝に飲んだ。笑って飲み、黙して飲み、集うて飲み、孤りで飲んだ。酒の重さとおなじ重さだけの金を積んで王に購われたと伝えられるハンガリアのトーカイも飲んだが、東南アジアの農民と畦道にしゃがんで道祖神を拝みつつドブロクを欠け茶碗で飲んだこともあった。すべてよい酒は眼、耳、鼻、舌、歯ぐきなどにまわして噛みつくしてから、いよいよ咽喉へ落とすというときに、最後の顔をあらわすのである。この瞬間、水のようにサラサラと流れるのがよい酒である。蒸溜酒であろうと醸造酒であろうと、最後には水のようでなければいけない。すべてを盡して水に達し、水から発して水に還る。いまの日本酒は大半がベタベタたお甘く、口いっぱいに蜜をぬられたようで、顔もなければ背骨もなく、われは大嫌いなんである。あれらはオトコの飲むものではないんである。ところがここに増田德兵衞さんのにごり酒だけは顔の素朴さにも似ずよく磨かれてあり、強い性格なのにサラサラと水のうように咽喉をいくので眼を瞠る。氷にのせてすすればその清淡。その剛直。イワナ釣りに深山をいくときに手酌ですする岩清水を思いだすほどである。小さな虹もふるえているようではないか。塵を擲って飲もう。

ドクトル・ワイン

齋藤茂太 (医学博士・随筆家)

この頃はなにもかも甘くなって、ヒジキの味つけはおろか、世の中を甘くみるプソイド革命野郎まで現れる始末。こういうときにこそ、ピリリとのどの粘膜から大脳皮質にこころよい刺戟をあたえる薬がのぞまれる。その薬の名は増田德兵衞さんの愛情のこもった にごり酒「月の桂」。十四世紀の頃、モーゼル河にかげをおとすフランツクートの山の城で重い病にあえぐトリエルの殿さまが、ある老人のブドー畑からとられたワインをのんだら忽ち病気は退散。以来「ドクトル・ワイン」の名がついて、こんにちも名物になっている。私は「月の桂」こそ日本の「ドクトル・ワイン」のような気がしてならぬ。おまけに兄弟分にこれ亦ピリリと辛口の原酒「琥珀光」があるから尚更そのように思えるのだ。

十年秘蔵大吟醸古酒 琥珀光「特別酒」

琥珀光讃

中村真一郎 (作家)

この奇跡をなにに喩えようか。それは妖精のかもした霊液エリクシールであろうか。人はこの液体を口に含んだ瞬間に、おのれの魂がこの世のさなかにいるままで、遥かの夢の世界に生まれ変わっているのを覚える。眼前の風景は夕陽をとおして色ガラスの繪のように、神秘的な色どりを帯び、内面のわずらいやいらだちは、不思議な音楽に揺られるように、浄福の気分に溶けてゆく。人類は歴史のはじまりから、こうした法悦境を求めて、次つぎと新しい酒を発明し、それを歳月のなかで、女の魅力のように成熟させてきた。そしてここに、今またあの「月の桂」の仕掛人の手によって、私たちの知らない米の酒の新種が生まれた。それは西洋においてブドウ酒からブランディーが生まれた歴史的瞬間にも比せられるべき、輝かしい事件である。そうしてこの新しい酒には、なお嬉しいことには、近代の夜明けと共に忘れられていた、遠い世の懐かしい記憶も漂っているのである。十七世紀の日本人がこよなく珍重していた、その陶酔境がこの「古酒」には再現せられている。この世に、もうひとつの光明に満ちた世界を現出させることを愛する人々よ。この透明な光を吸って、豊かに波うっている、快楽の海のなかに、静かに五感をひたそうではないか・・・・・

月の桂琥珀光を讃す

山本嘉次郎 (映画監督)

昔の酒が帰って来た
酒のみにとって一番腹の立つのは日本酒がひどく不味くなってしまったことだ
添加物、四季を弁ぜぬ機械づくりその上、ベトベトした甘さ・・・
これじゃ第一、料理の味をメチャメチャにする
ところが喜ぶべし、昔のピンシャンとした酒が 帰って来たのだ
樽香、コハク色、そしてコクのある辛口手造りなればこその良さである
いや、昔よりも一段と佳いやっと思いをとげた 万才!

月の桂 純米酒

第一等の味

水上勉 (作家)

京の宿ではじめて呑んだおいしい酒に、「月の桂」というのがあった。私は月夜の桂川の景色は知っているが、桂の樹なるものをまだ知らない。舌にとけるまるい味を賞玩していたら、さしづめこれは月夜の桂川の辺にある松尾の水のひと滴かと思った。松尾は酒の神様。「月の桂」は第一等の味だと思う。